代理母についてコメントを頂いていたようだが、しばらくここへアクセス出来ないでいたので遅くなった為、新たに書くことにした。
私は、もし自分が病気・その他の理由により、子どもを産むことが出来ない身体であったとしたら、子どもを持とうとは思わないと思う。
子どもがいないことも又運命だと思うので、他人の身体を借りて、或いは養子など他の手段も含めて子どもを得たいとは思わない、しかしこの考えが全てとは思わないし、どうしても子どもが欲しいという気持ちも理解は出来る。
どうしても子どもが欲しいと考える人達に対して、子どもは要らないという考えを押しつけるべきではないとも思う。
他人のお腹を借りて、他人の精子を提供されて、又他人の卵子を借りてという方法は、確かに人の身体を道具として利用するのかという誹りは免れないだろうし、のちのち法律的にややこしい問題を特に相続に関して起す可能性もあるし、更に大きな問題は子どもが自分の生物学的な親を単に精神的な問題ではなく、実質的に遺伝的な問題に絡み求めるという事態も容易に想像がつく。
将来的に予測し得る、あらゆる煩雑な問題を考えても、なお自分の子どもが欲しいというのであれば、そして、どんな困難にも立ち向かい解決の為に努力を惜しまないというのであれば、どうしても女性がその肉体的な理由により子どもをなし得ないという場合に限っては例外として認めて良いのではないだろうかというのが私の意見である。
(ここでは、協力する第三者が必要となるが、それが現代の米国では一つの産業となっている事実は良いものとは思わないが、それは問題が大きすぎるので、ここでは省く)
現在の医学においてその技術的水準は、他人のお腹を借りて子どもをつくるということに関して、充分にその領域に達している。
子どもをつくることが出来ないということを運命と諦めて、その技術を使うなということは、先ほども書いたように、逆に賢しらぶった意見の押しつけになるものと考えるからである。
但し、もし例外的に病気等で妊娠し得ない人に借り腹を認めた場合には、貧富の差が出ないように保険の適用を認めるべきだとも思う。
お金があるから子どもを持てる、お金が無いから子どもを持てないということがあってはならないであろう。
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